医療過誤
医療過誤

診断の遅れについての責任

  • 常位胎盤早期剥離の診断が遅れたことの過失
  • 東京地裁平成14年5月20日判決の事例を参照
  • 660万円の支払いを命じた事例

ケース

【通院】

私は、4月3日、4月17日、5月1日、5月15日と2週間ごとに赤ちゃんの様子を確認してもらうため通院していました。

4月17日の診察では、子宮収縮が認められて切迫早産と診断され、子宮収縮抑制剤ウテメリン錠剤を服用していました。

【診察を受けるまでの経緯】

私は、5月26日(妊娠35週5日)、午前4時ころ、下腹部の胎盤のある辺りに痛みを感じて目覚めました。

私は、痛みが軽減しないので心配になり、午前6時ころ、通院していた病院の産婦人科に1回目の電話をかけました。
すると、当直医は、私に対し、「ウテメリンを1錠飲んで安静にして様子を見てください。もしそれでも痛ければ、すぐに電話をしてください」と指示しました。

私は、指示どおりウテメリンを服用しましたが、下腹部痛は治まらず、かえって気分が悪くなり嘔吐し、6時45分ころ、夫に2回目の電話をかけてもらいました。
すると、電話に出た助産婦からすぐに来院するよう言われ、午前7時ころ、病院に連れて行ってもらいました。

【病院での処置】

当直医は、午前7時10分ころ、助産婦とともに一般的診察を開始しました。
私の腹部は非常に硬い状態でしたが、当直医は、常位胎盤早期剥離の症例を扱った経験がなく、切迫早産の子宮収縮による硬さであると考えました。
このとき、性器出血、破水は見られず、子宮口の開大もありません。

私が腹痛のため横向きで体を屈曲させていたこともあり、助産婦は、トランスデューサで胎児の心臓の位置を捜し当てることができず、当直医が交替して何回か試みたものの、やはり胎児の心臓の位置を確認することができませんでした。

そこで、次善の策として超音波検査装置による測定に切り替え、7時30分ころ、胎児心拍数が毎分80であることを確認した。胎児心拍数の正常値は毎分120から160であり、120を下回ると徐脈、100を下回ると高度徐脈と判定される。

7時35分ころ、他の医師が、当直医から胎児心拍数が毎分80で高度徐脈の状態にあるとの報告を受けたので、その徐脈が一過性のものか継続するものかに注意を払い、徐脈が続くときには母体に酸素を供給するとともに、子宮収縮を抑制するためにウテメリンを投与するよう指示しました。

7時40分ころ、当直医は、再び超音波検査により胎児心拍数を計測しましたが、徐脈は回復していませんでした。
この時点で胎児仮死を疑い、助産婦に対しウテメリンの点滴と酸素の投与を指示し、7時45分ころ、ウテメリンの点滴が始まりました。

当直医は、超音波検査によって胎盤の肥厚を認めず、性器出血もないことなどから、徐脈の原因については、常位胎盤早期剥離というよりも、切迫早産の子宮収縮が少し過強的に起こっているためであると考え、胎児の体位変換により徐脈が回復することもあり得ると考えて、触診などをしながら経過を観察していました。

当直医に指示を与えていた医師が診察室に到着し、私の腹部を触診したところ、常位胎盤早期剥離を疑うことができる硬さであると判断しました。
超音波検査で胎児心拍数を計測すると、徐脈は悪化し、毎分60から70になっていました。

担当医が設定した点滴の速度は通常の切迫早産用のゆっくりしたものであったため、駆けつけた医師は、徐脈対策用に点滴量を増やし、酸素の供給を継続し、子宮収縮抑制剤であるボルタレン座薬を投与しました。

しかし、これらの処置によっても徐脈が回復しなかったため、医師は、常位胎盤早期剥離を強く疑い、緊急帝王切開術を行うことにしました。

【出産】

8時42分、当直医も助手として立ち会って帝王切開術が開始され、8時45分、私の子供は、重症新生児仮死の心停止状態で出生しました。体重は1,934gで、ぐったりした様子で啼泣もなく、出生1分後のアプガースコアは0で、動脈血によるガス分析値はpHが6.751で、著しい代謝性アシドーシスになっていました。

小児科医が、ボスミンの静注や気管内挿管をするなどして蘇生措置を行い、出生5分後に心拍は再開したが、自発的呼吸努力や筋緊張などはなく、アプガースコアはようやく1であった。
出産翌日に胎盤が病理検査に提出され、その病理組織診断により、私が常位胎盤早期剥離を発症していたことが確認されました。

私の子供は、5月26日に出生した後、7月18日まで入院して治療を受けましたが、退院時には低酸素性虚血性脳症でした。

また、その後も、私の子供は、小柄で、てんかん発作に対する投薬とリハビリのため、通院が欠かせず、重症新生児仮死後の低酸素性虚血性脳症、脳性麻痺(四肢)、てんかん(ウエスト症候群)、精神発達遅滞、皮質盲(後頭葉にある皮質視中枢が障害されて視覚を喪失している状態)との診断を受け、摂食、排泄、体位交換などに全面的に介助を要する状態です。

質問

私が病院を訪れた時には、早期胎盤剥離の症状が現れていたわけですから、子供の心拍数を測り、心拍数の低下を確認して直ちに早急に帝王切開による出産を行ってくれていたら、私の子供は現在のような障害を抱えずに済んだと思います。

早期胎盤剥離疑い、子供の心拍数を測定して直ちに帝王切開手術をしなかった医師に責任はないのですか。

説明

【常位胎盤早期剥離】

常位胎盤早期剥離とは、正常位置、すなわち子宮体部に付着している胎盤が、妊娠中又は分娩経過中の胎児娩出以前に、子宮壁から剥離することをいいます。

胎盤剥離面が30パーセントを超える常位胎盤早期剥離の診断は、胎盤血腫や胎盤肥厚などの典型的症状が現れることが多いため比較的容易に判断することができますが、その場合の胎児の予後は悪く、母体の播種性血管内凝固症候群(DIC)の危険性も高くなります。

常位胎盤早期剥離において胎児の予後が不良にならず、母体のDICの危険性も低いと考えられるのは、発症から5時間ないし6時間までであり、早期診断が極めて重要となります。

早期診断の第一歩は、常位胎盤早期剥離を常に疑うことにあります。

【常位胎盤早期剥離の症状】

常位胎盤早期剥離の初発症状は、下腹部痛又は性器出血です。

下腹部痛は、子宮筋層への血液浸潤を示す徴候とされ、胎盤付着部に一致した軽度の局所的圧痛や間欠期のない持続性の腹部緊張で始まり、時間の経過とともに重症化するのが特徴で、悪心、嘔吐を伴うこともあります。
腹部子宮壁の板状硬、皮膚の蒼白なども特徴として挙げることができます。

性器出血、下腹部痛、強度の子宮収縮などの症状がすべて揃う症例は非常に少なく、臨床症状と病態の進行程度は一致しないので、これらの症状の1つでも認められれば、常位胎盤早期剥離を疑うべきとされています。

妊娠37週以前においては、切迫早産の症状と似ていることから、子宮収縮抑制剤が投与されて診断が遅れる危険性が高くなります。
鑑別は容易ではありませんが、下腹部痛が陣痛のように間欠的なものでなく、持続的なものであれば、常位胎盤早期剥離が疑われます。

【胎児に与える影響】

常位胎盤早期剥離が発症すると、母胎から胎児への酸素の供給が阻害され、胎児の低酸素状態を招きます。
高度な酸素欠乏は、心筋代謝の抑制等を来し、徐脈となって現れます。

したがって、臨床症状から常位胎盤早期剥離の疑いがあれば、胎児心拍の確認のために、直ちに超音波検査や胎児心拍数モニタリングを行う必要があります。
特に、胎盤血腫や胎盤肥厚などの所見が見られない初期の段階でも、胎児心拍数の監視を通じて低酸素症の所見が得られることから、胎児心拍数モニタリングが有用です。

【常位胎盤早期剥離の処置】

常位胎盤早期剥離の診断がされた場合には、急速遂娩の適応となり、原則として帝王切開を行うことになります。

経膣分娩は子宮口が全開大のときに限られます

常位胎盤早期剥離による母体死亡の多くは、DICによるものです。
母体にショック症状やDICが生じた症例では、これらに対する治療を行って母体の安全を確保してから、帝王切開に移行することとなります。

胎児仮死で児の娩出を優先させなければならないときは、胎児が生存していることから推察して、DICがそれほど進行していないと判断されるから、直ちに帝王切開を施行してもよいとの見解も見られます。

【裁判所の判断】

まず、裁判所は、ウテメリンを服用しても下腹部痛は治まらず、かえって気分が悪くなり嘔吐しており、顔色は蒼白、四肢冷感も著明で、腹部は非常に硬い状態で常位胎盤早期剥離の初発症状が現れていたことから、診察開始の7時10分ころの時点で、常位胎盤早期剥離を念頭に置いて、胎児が低酸素状態に陥っていないかどうかを確認するために、直ちに胎児心拍数を計測すべき義務があり、常位胎盤早期剥離を疑い、直ちに胎児心拍数を計測すべき義務を怠った当直医の過失を認めました。

また、7時30分に高度徐脈であったこと、出生時には重症新生児仮死であり、動脈血によるガス分析値がpH6.751と著しい代謝性アシドーシスになっていたこと、ボスミンの静注や気管内挿管を実施してようやく蘇生したことなどを考慮すると、7時ころには既に胎児仮死の状態にあった可能性があり、来院前後の強い持続性の下腹部痛、非常に硬い腹部、血圧がやや高めで体温が明らかに低いなどの諸症状を把握していた医師としては、胎児仮死を疑った時点において、これらを総合判断して、常位胎盤早期剥離を強く疑うことが可能であり、かつ、疑うべきであったとし、常位胎盤早期剥離を強く疑ったとすれば、胎児を一刻も早く娩出させるために、直ちに帝王切開術の施行を決断すべき義務があったと判断しました。そして、徐脈の回復がなく胎児仮死を疑った時点で、常位胎盤早期剥離を強く疑い、直ちに帝王切開術の施行を決断すべき義務を怠った過失があると判断しました。

ただし、7時30分までに胎児仮死の状態にあるという判断をしていれば、直ちに帝王切開術の施行を決断することによって、帝王切開術の開始や娩出の時刻も30分程度は早めることができたということができが、娩出が30分早まって8時15分ころに出生したと仮定しても、低酸素性虚血性脳症や脳性麻痺等の結果が回避されたかどうかは不明であり、出生時の代謝性アシドーシスが重症であったこと、帝王切開術において胎盤が容易に娩出されたことなどからすると、8時15分ころにおいても、胎盤の剥離は相当程度進行しており、その結果として、胎児の脳は既に常位胎盤早期剥離に伴う低酸素状態の影響を少なからず受けていたものと考えられることから、当直医の過失と患者の後遺障害との間に因果関係があると認めることはできないと判断しました。

他方で、娩出の時刻が早まったとすれば、低酸素状態にさらされる時間もそれだけ短くなるのであるから、患者の出生時の新生児仮死の程度が本件の場合より軽くなり、ひいては後遺障害の程度も軽くなった可能性があり、どの程度軽くなったのかを判断することはできないとしても、新生児仮死の程度が少しでも軽い状態で出生する機会を奪われ、出生の当初から、脳性麻痺のような重い後遺障害の程度が少しでも軽い状態で成長する可能性を侵害されたといえ、これによって大きな精神的苦痛を被ったものということができると判断しました。

そして、裁判所は、このような精神的苦痛の慰謝料等として660万円の支払いを命じました。

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