医療過誤
医療過誤

術後の対処に関する過失

  • 術後に高カロリー輸液を投与されていた患者がウェルニッケ脳症を発症したことに対する医師の不作為の過失
  • 東京地裁平成14年1月16日判決の事例を参考
  • 800万円の支払いを命じた事例

ケース

【術後の栄養摂取】

父(81歳)は、平成8年9月、入院先の病院で、上行結腸癌の疑いとS状結腸の穿孔のため、上行結腸とS状結腸穿孔部を切除する手術を受けました。

父は、手術後8日まで絶食の後、流動食の経口摂食を開始しました。

ところが、父は,食欲不振・下痢の症状が現れたため再び絶食とされ、術後13日から16日まで、ビーエヌツイン1号(高カロリー輸液)を毎日1本、術後17日にはビーエヌツイン2号(高カロリー輸液)1本の投与を受けました。

【再度の絶食】

父は、術後18日から、ビーエヌツインの投与が中止され、三分粥と常食の経口摂取をはじめました。

ところが、術後21日に腸閉塞の症状が出現したため、再度絶食とされ、術後23日と24日にビーエヌツイン1号を各1本、術後25日から31日まではビーエヌツイン2号が毎日1本投与され、術後31日で高カロリー輸液の投与は終了しました。
なお、術後24日には流動食の経口摂取も行われ、術後26日からは常食の摂取も行われるようになりました。

【入院中の症状】

術後40日ころから、父に、今までになかっためまい・複視・歩行障害などの症状が現れ、術後44日ころには、発語の減少・反応の鈍麻などの意識障害が現れはじめ、歩行も困難になり車いすが必要になり、自力での坐位の保持すら困難な状況となりました。

父は、11月6日にはベッドサイドにつかまりながら立位の練習を始め、翌7日には歩行器を使用しての歩行練習を開始しました。
父は、11月17日ころからは、甲は、介助を受けながら歩行する練習を始めたが、11月26日ころもまだ歩行にふらつきがあり、介助がないと歩行できない状況でした。

術後49日時点の頭部MRIでは、左右ほぼ対象の脳障害が認められました。
そして、医師は、ビタミンB1が欠乏の可能性があるとして、術後50日から69日までの間、複合ビタミン剤を、1日3?4アンプル投与するようになりました。

術後77日の時点の頭部MRIでは、脳障害はほぼ消失していましたが、歩行障害・意識障害が回復することなく、84歳でこの世を去りました。

【退院後の症状】

父は、平成8年12月1日に退院することになったのですが、このころになっても、記憶が十分にできず、歩行状態も跛行していて不自由な状態にあり、発語も乏しい状況でした。

父は、平成9年5月10日以降、死亡する平成11年10月22日までの間、クリニックに通院していたのですが、その期間中、失調性の歩行障害(ふらつき)、記憶障害(物忘れがひどい)や、住所や孫の名前が分からなくなると訴えていました。

クリニックでは、平成9年5月21日、平成10年2月2日、平成11年7月26日の3回、父の頭部MRI検査を実施してもらいましたが、いずれの回も脳萎縮と診断されました。
また、クリニックでは、平成9年7月10日に父の脳波検査を実施してもらい、脳波に異常があって、ビタミンB1不足からくるウェルニッケ脳症と矛盾しないとの診断がなされています。

そして、父は、84歳でこの世を去りました。

質問

父は、術後40日ころから視覚障害や歩行障害が現れ、49日ころから意識障害が現れるようになりました。
手術を受ける前や手術を受けた直後、父には、視覚障害、歩行障害、意識障害などは一切ありませんでした。

父に投与されたピーエヌツインの能書には、「高カロリー輸液療法施行中にビタミンB1欠乏により重篤なアシドーシスが起こることがあるので、適切な量のビタミンB1の投与を考慮すること」との記載がされていました。

父に前記のような症状が現れた原因は、高カロリー輸液が投与されていた間、経口摂食を行う以外にビタミンB1を一切摂取していなかったからではないかと考えています。
父にビタミンB1を投与しなかった医師に責任はないのでしょうか?

説明

【ウェルニッケ脳症】

ウェルニッケ脳症とは、ビタミンB1欠乏により生じる中枢神経障害です。

ビタミンB1欠乏の原因としては、摂取不足をきたす慢性アルコール中毒、慢性消化器疾患、悪性疾患、重症感染症、妊娠悪阻、高カロリー輸液等が挙げられます。
上記した状況では、一般に全身状態が不良で低栄養状態に陥りやすく、持続性嘔吐に伴い絶対的なビタミンB1の摂取不足になります。

また、ブドウ糖を中心とする炭水化物負荷によりビタミンB1の過剰消費をきたすため、それがビタミンB1欠乏の原因になると考えられています。
特に、ビタミンB1は糖代謝、アミノ酸代謝に不可欠で、高カロリー輸液など糖質投与量が多い場合にはその必要量が増加するため、ビタミンB1の欠乏が生じやすくなります。

そして、ビタミンB1の低下は、ウェルニッケ脳症の原因となるのです。

【ウェルニッケ脳症の症状】

ウェルニッケ脳症は、定型的には眼球運動障害、運動失調、意識障害が急激に発症しますが、これらの3主徴が常に見られるわけではなく、発症も突然のものから数日にわたって進行するものまで様々です。

眼球運動障害は最も重要な徴候で、水平性ないし垂直性眼振、共同注視障害、複視を伴う外転筋麻痺が生じます。
運動失調は、歩行障害が主で、重症のものは起立が不能となります。
意識障害は、無欲様で、集中力に欠け、周囲に無関心という症状で現れ、自発語が少なく、問いかけに対して応答しないか、答えかけても途中で眠り込んでしまうというように、傾眠がちになります。

また、時間や空間に対する見当識が失われることもあります。

そして、ウェルニッケ脳症の80パーセントが、ウェルニッケ・コルサコフ症候群に移行します。
ウェルニッケ・コルサコフ症候群に移行すると、症状として、見当識障害、健忘症状、しばしば短期記憶の障害やそれに伴う作話、自発性の低下が見られるようになります。

また、それ以外に認識能力の低下、概念形成の低下、構音障害が見られることもあります。

【治療による予後】

ウェルニッケ・コルサコフ症候群は、早期に診断し治療すれば、それだけ予後はよく、ビタミンB1投与により、投与後数時間から数日で改善効果が現れます。

しかし、記憶力障害は、いったん完成すると完全に治癒するのは5分の1以下で、意識障害が改善すると、記憶力障害がかえって顕著になることがあります。

【裁判所の判断】

裁判所は、ビタミンB1は体内貯蔵量が25ないし30ミリグラムであり、まったく摂取されなければ18日間で枯渇すること、32日間のうち、高カロリー輸液を投与した日は計14日間であり、その間はビタミンB1を補給しなかったこと、高カロリー輸液の投与終了から9日後の10月19日ころ、甲にウェルニッケ脳症が発症したが、この9日間のうち、病院食によるビタミンB1の経口摂取によってその所要量を満足している日は2日だけであり、ビタミンB1の経口摂取が皆無の日も1日あること、高カロリー輸液の施行期間が2週間程度であっても、それによってウェルニッケ脳症が発症する事例も少なくないことから、甲に発症したウェルニッケ脳症は、B医師らが甲に対し、ビタミンB1を補給することなく高カロリー輸液を投与したことによって生じたものと判断しました。

そして、医薬品の能書の記載事項は、その医薬品の副作用等の危険性について最も高度な情報を持っている製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するにあたって添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって投与を受けた患者に医療事故が発生した場合には、注意事項に従わなかったことについて特に合理的な理由がない限り、診療契約上、医師の過失が推定されるというべきであると判断し、本件における医師の過失を認めました。

以上を前提に、病院での配慮を欠いた治療行為によってウェルニッケ脳症を発症し、それにより記憶障害、歩行障害、自発性の低下等の後遺症が残存し、81歳から84歳で亡くなるまでの人生の締めくくりともいうべき余生において、人間らしい質を伴った生活を送ることができなくなったと判断し、慰謝料として800万円の支払いを命じました。

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